2026.4.20

深夜3分間のみ、96以上のスクリーンに一斉上映。NYタイムズスクエアにて松山智一《Morning Again》が公開中

ニューヨーク・タイムズスクエアにおいて、23時57分から深夜0時までの3分間、現代美術家・松山智一による映像作品《Morning Again》(2026)が4月30日まで毎晩上映されている。資本と公共性が交錯するこの場所で、アートはいかに成立しうるのか。松山へのインタビューを通じて、同作の制作プロセスと背景に迫る。

文=王崇橋(編集部)

「Times Square Artsʼ Midnight Moment」より、松山智一《Morning Again》(2026)上映中の様子 Photo by Michael Hull. Courtesy of Times Square Arts
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広告が消える3分間、タイムズスクエアに立ち上がる《Morning Again》

 ニューヨーク・タイムズスクエアにおいて、広告の光が一斉に消える深夜のわずか3分間。その瞬間、アートが公共空間を占有する。現代美術家・松山智一は、この象徴的な時間と場所において、最新映像作品《Morning Again》(2026)を発表した。

 本作は、世界最大級のデジタル・パブリック・アートプログラム「Times Square Arts Midnight Moment」の一環として、4月1日から1ヶ月にわたり上映されている。毎晩23時57分から深夜0時まで、41丁目から49丁目に位置する96面以上の巨大LEDスクリーンが連動し、都市の中心で映像作品が展開される。

松山智一《Morning Again》(2026)上映中の様子 Photo by Michael Hull. Courtesy of Times Square Arts

 広告と資本主義の象徴ともいえるタイムズスクエアという場において、アートはいかに成立しうるのか。松山は本プロジェクトについて次のように語る。

 「タイムズスクエアは、アメリカの経済性や国家の富の強さを可視化している象徴的な場所です。そうした場で作品を発表することはやりがいがあるいっぽうで、非常に慎重にアプローチしなければならないと感じました。ここは美術館のように文脈を与えてくれる空間ではなく、都市そのものです。だからこそ、この場所でいかに作品を成立させ、メッセージを伝えるかが重要でした」。

 そうした問題意識のもと、松山は現在のアメリカ社会が抱える分断や疲弊に向き合い、「明日への希望とは何か」を問い直すことを本作の出発点とした。その手がかりとして提示されるのが、「4つの自由」という枠組みだ。心、都市、性、そして個──異なる次元における自由を軸に据えることで、対立や混濁が顕在化する現代社会において、それでもなお成立しうる「ユニティ(連帯)」の可能性が探られている。

4つの自由とアリシア・キーズ、スウィズ・ビーツ、アレックス・コンサーニ、渡辺直美

 「Midnight Moment」は、2012年にTimes Square Artsによって開始されたパブリック・アートプログラムであり、タイムズスクエアの巨大ビルボードをキャンバスとして、現代アーティストによる映像作品を紹介してきた。これまでにデイヴィッド・ホックニーやオラファー・エリアソンをはじめ、100名以上のアーティストが参加し、都市空間とアートの関係を更新し続けている。

 松山による《Morning Again》は、3分間のアニメーション作品として構成される。作品にはそれぞれ「4つの自由」を象徴する人物が登場し、なかには松⼭の友⼈であるニューヨーク在住の実在⼈物も含まれている。

松山智一《Morning Again》(2026)より、アリシア・キーズがミューズとして描かれたシーン Photo by Michael Hull. Courtesy of Times Square Arts

 「『心の自由』ではアリシア・キーズを象徴的な存在として捉えています。彼女はニューヨークのヘルズキッチン出身で、何もないところから世界的な存在になった人物であり、その歩みのなかで培われてきた強さと包容力はまさに心の自由を体現していると思っています」。

スウィズ・ビーツをミューズに描いたシーン Photo by Michael Hull. Courtesy of Times Square Arts

 「『都市の自由』については、都市が波紋のように変化し続ける存在であるという認識のもと、スウィズ・ビーツをその象徴として位置づけています。彼はサウス・ブロンクスからキャリアをスタートし、音楽だけでなくビジネスの領域でも成功を収めてきた人物で、都市の変化とともに自身の可能性を拡張してきた存在だと考えています」。

中央のスクリーンに登場した人物はアレックス・コンサーニがミューズとなっている Photo by Michael Hull. Courtesy of Times Square Arts

 さらに、「性の自由」はトランスジェンダーモデルのアレックス・コンサーニ、「個の自由」は渡辺直美が代表されている。「ジェンダーや身体性を超えて、自分がありたい存在として生きること、あるいは身体を通して自由を表現すること。そうした多様なあり方を、それぞれの人物に託しました」と松山は語る。

中央のスクリーンに登場した人物は渡辺直美がミューズとなっている Photo by Michael Hull. Courtesy of Times Square Arts

 これらの人物は写実的な肖像として描かれるのではなく、松山の絵画的言語によって抽象化され、匿名性と個性のあいだを往還する存在として提示される。無数のスクリーンの中心にひとつの存在が立ち現れ、その周囲に価値や物語が拡張していく構造は、タイムズスクエアそのもののイメージとも重なり合う。

 「重要だったのは、彼らをたんなる広告的な存在としてではなく、それぞれが体現してきた経験や勇気を『ダイバーシティ』の一形態として捉え、それをタイムズスクエアという場所の言語に乗せてサンプリングすることでした。資本主義の象徴ともいえるこの場所で、その構造を引用しながら別のメッセージを提示したいと考えました」。

 世界中から人々が集まるタイムズスクエアにおいて、アートを発信することの意義について、松山は「この場所で作品を提示すること自体に大きな意味がある」と語る。本作は、都市の多層性とともに、現代における「自由」のあり方を問い直す試みとなっている。

「白も黒もダメ」──タイムズスクエアで表現を成立させること

 しかし、《Morning Again》をタイムズスクエアで実現するプロセスは、決して容易なものではなかった。無数のモニターが連動するこの空間には、それぞれにオーナーやステークホルダーが存在し、表現に対する判断も一様ではない。1度フィードバックを得るのに約2週間を要し、修正の機会は実質3回ほどに限られていたという。

 「最初に提出した段階では、ほとんどすべての提案が認められず、約30件『使用できない』と判断を受けました。この場所で表現を成立させることの難しさを強く実感した瞬間でもありました」。

松山智一《Morning Again》(2026)上映中の様子 Photo by Michael Hull. Courtesy of Times Square Arts

 松山がそう振り返るように、タイムズスクエアという場では、美術館とはまったく異なる論理が働く。「美術館は制約が多いように見えて、じつは表現の幅が広く認められている『シェルター』のような場所なんです。でもタイムズスクエアは違う。あのモニターはすべて誰かの所有物で、企業が関わっている以上、ネガティブな要素や誤解を生む可能性があるものは徹底的に排除される。結果として、発言の自由はむしろ大きく制限されるんです」。

 実際、象徴表現の扱いは想像以上に厳格だった。例えば、LGBTQカラーを想起させるアメリカ国旗は即座に却下され、モノクロ表現も「戦争を連想させる」という理由で認められなかった。「Follow me」といった言葉ですら、特定のプラットフォームを想起させるとして使用が制限された。「白も黒もダメで、グレーですら難しい。その制約のなかでいかに作品として成立させるかを考え続ける必要がありました」。

キルトをモチーフに描かれたアメリカの地図 Photo by Michael Hull. Courtesy of Times Square Arts

 こうした制約のなかで、松山は表現の転換を試みる。アメリカ国旗の代わりに用いられたのが、キルトのモチーフだ。「キルトは、それぞれの人が思いを込めて布を縫い合わせていくものです。トップダウンではなく、ボトムアップで成り立つ構造として、アメリカの民主主義を考えるうえで有効だと思いました」。

 さらに、アメリカの地図や鷲といった象徴も、抽象化されたパターンとして再構成されることで、政治的な直接性を回避しながら作品のなかに組み込まれている。「最終的に目指したのは、パトリオティズムそのものではなく、この国が『何が正しいのか』を問い続ける姿勢でした。多様な価値観がぶつかり合う社会において、答えはひとつではない。それでも問い続けること自体が、この国の強さだと思っています」。

美術館の外へ──松山智一にとってのパブリック・アート

 マンハッタンのハウストン・バワリー・ウォールにある壁画《Color Of The City》などのパブリック・アートを発表し続けてきた松山にとって、今回のプロジェクトは、自身の実践をあらためて見つめ直す機会でもあった。

 「現代美術の作家がパブリック・アートをやるのは危険だ、という話をよく聞きますが、それはある種の責任放棄だと思っています。美術館の中だけで完結するのではなく、社会に向けてどう伝えるかが重要です」。

 欧米では、オラファー・エリアソンやウルス・フィッシャーのように、公共空間でのプロジェクトを積極的に展開する作家も多い。表現のスケールや媒体を横断しながら、異なる観客層に向けて作品を届けることは、現代のアーティストに求められる役割のひとつだと松山は考えている。

松山智一《Morning Again》(2026)上映中の様子 Photo by Michael Hull. Courtesy of Times Square Arts

 「ニューヨークに来てから20年以上、特別な支援に頼ることなく活動を続けてこられたのは、この都市や社会が自分を受け入れ、表現の場を与え続けてくれたからだと思っています。そうした意味でも、パブリック・アートには今後も継続して取り組んでいきたい。社会と直接つながる場所で、自分の考えや表現を届けることができるのは、非常にやりがいのある活動だと感じています」。

都市のなかで立ち上がる3分間

 タイムズスクエアでの上映が始まる深夜、現地では自然と人々が集まり、スマートフォンを手に作品を見つめる光景が広がる。上映が終わると、観客は再び街のなかへと散っていく。その一瞬の体験は、日常と非日常が交差する、巨大な都市ならではの時間だといえる。

 「最初はなぜこんなに多くの人が集まっているのかわからなかったのですが、自分の作品を目当てに訪れているのだと気づいたとき、ニューヨークに来た意味を実感しました」。

松山智一《Morning Again》(2026)上映中の様子 Photo by Michael Hull. Courtesy of Times Square Arts

 世界の経済と文化の中心に位置するタイムズスクエアにおいて、アートが立ち上がる3分間。その限られた時間のなかで、《Morning Again》は都市の多層性と自由のあり方を問いかける。分断と共存、個と集合、表現と制約──そうした複数の緊張関係を抱え込んだタイムズスクエアという場において、パブリック・アートはいかにしてメッセージを成立させうるのか。本作には、その問いに向き合った松山の思考と実践が刻まれている。