マーク・ブラッドフォードが描く「歩き続ける」社会的抽象──韓国初の大規模個展からたどる、暴力・移動・連帯の記憶
ソウルのアモーレパシフィック美術館にて、マーク・ブラッドフォードの韓国初となる大規模個展「Keep Walking」が開催されている。都市の残骸を素材に抽象と社会批評を交差させてきたブラッドフォードの20年以上にわたる創作活動を、作家自身の言葉とともにたどる。

ソウルのアモーレパシフィック美術館にて、アメリカを代表する現代美術家マーク・ブラッドフォードの個展「Keep Walking」が開催されている。本展はブラッドフォードにとって韓国初の個展であり、アジアにおける過去最大規模の展示でもある
1961年、ロサンゼルス・サウスセントラルに生まれたブラッドフォードは、自身の生い立ちや地域コミュニティとの関係を出発点に、ビルボード紙、フライヤー、美容院のペーパーなど都市空間から回収した素材を用いて、重層的な抽象作品を制作してきた。「貼り重ね」「削り取り」「引き裂き」「コラージュ」といった手法を通じて生み出される彼の表現は、「ソーシャル・アブストラクション(社会的抽象)」と呼ばれ、人種、ジェンダー、階級、抑圧の構造といった現代社会の深層に切り込んでいる。
本展では、2000年代初頭の代表作《Blue》や《Niagara》(いずれも2005)から、観客が実際にその上を歩くことができる床面インスタレーション《Float》(2019)まで、約40点の大型ペインティング、映像、そして本展のために制作された新作が展示されている。

なかでも、美術館の建築空間に呼応して制作された新作《Here Comes the Hurricane》(2025)は、2005年にアメリカ南東部を襲ったハリケーン・カトリーナと、その後の政府の対応の不備、そしてアメリカのクィア史における伝説的存在ウィリアム・ドーシー・スワンの人生と抵抗を重ね合わせた作品群である。19世紀に奴隷として生まれたスワンは、アメリカ史上初めて自らを「ドラァグクイーン」と名乗った人物であり、ボールルーム・カルチャーの先駆者でもある。

展示室の壁面に広がる黒地の壁紙には、ハリケーンの水が引いた後に家々に残された「水位の跡」を思わせる金属的な風紋が描かれ、そのなかにスワンの幽霊のようなシルエットが浮かび上がる。壁面の平面作品には、アメリカのボールルーム・カルチャーを象徴するアーティスト、ケヴィン・JZ・プロディジーの楽曲「Here Comes the Hurricane Legendary Katrina」のリリックがステンシルで重ねられており、見過ごされてきた歴史の層を呼び起こす。

ブラッドフォードは「私はその空間に、歴史の幽霊がたくさんいるように感じます。悲劇の記憶を空間に留めることが大切だと思っています」と語る。