2025.7.6

マヤ・エリン・マスダ「Ecologies of Closeness 痛みが他者でなくなるとき」(山口情報芸術センター[YCAM])開幕レポート

山口情報芸術センター[YCAM]で、マヤ・エリン・マスダによる新作を発表する展覧会「Ecologies of Closeness 痛みが他者でなくなるとき」が開幕した。会期は11月2日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、《Pour Your Body Out》(2023-25)
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マヤ・エリン・マスダの新作を公開

 山口情報芸術センター[YCAM]で、マヤ・エリン・マスダによる新作を発表する展覧会「Ecologies of Closeness 痛みが他者でなくなるとき」が開幕した。会期は11月2日まで。キュレーションは太田遥月、見留さやか(ともにYCAMスタッフ)。

 マヤ・エリン・マスダは、ベルリン・東京・ロンドンを拠点に活動するアーティスト/リサーチャー。現在はドイツのベルリン芸術大学にてクィア・エコロジー(*)を研究している。近年の個展に「Sleep, Lick, Leak, Deep….​​」(大和日英基金、イギリス、2024)。主な近年のグループ展に「INTERFACE」(Somers Gallery、イギリス、2024)、「More Strange Things」(Silent Green、ドイツ、2024)、「ままならなさを生きるからだ Bodies / Multiplicitous」​​(クマ財団ギャラリー、東京、2023)、「Ground Zero」(京都芸術センター、2023)など。

 本展は、気鋭のアーティストのインスタレーションなどを紹介するYCAMの展示シリーズ「scopic measure」第17弾となるもの。同シリーズの開催は2019年以来となっており、会場には、マスダによる新作を含む作品が3点展示されている。

*──クィア・エコロジーとは、性やジェンダーの多様性と自然環境との関係を新たな視点でとらえ直す思想や実践。従来の「自然」や「生態系」のとらえ方が、異性愛規範や二項対立(男/女、人間/自然など)に基づいていたことを批判し、より流動的で両儀的な関係のあり方を提示する。「Ecologies of Closeness 痛みが他者でなくなるとき」会場リーフレットより

テクノロジーと政治の狭間にある身体について問う

 太陽光の差し込む明るい部屋を横断するように展示されているのは、マスダによる過去作《Pour Your Body Out》(2023)。今回はYCAMの会場にあわせて、空間を大胆に活用しながら再構成されている。

展示風景より、《Pour Your Body Out》(2023-25)

 木枠のなかには、一見自然物のように見えるプラスチック材や発泡スチロールがラミネートされたもの、科学液に浸された花、人工皮膚が配置されており、さらに母乳に見立てられた白い液体が会場全体を巡るように流動している。

 「この木枠は寝そべる人の人体構造に見立てていますが、その形状はどこかシステマチックにも見えるかもしれません」(マスダ)。この作品の制作背景には、福島第一原子力発電所事故(2011)の際に命じられた動物の殺処分や、チェルノブイリ原子力発電所事故(1986)から30年あまり経って出てきた組織的な中絶の推奨の証言が存在しており、液体の循環や配置されたオブジェクトを通じて、テクノロジーの発展と政治の間にある生殖や身体の権利にスポットを当てている。

展示風景より、《Pour Your Body Out》(2023-25)
展示風景より、《Pour Your Body Out》(2023-25)
展示風景より、《Pour Your Body Out》(2023-25)。テクノロジーの発展によって変容する皮膚の現象を人工皮膚を用いて表現。マスダはこれを「惑星の痛み」と呼ぶ

既存の親族性をどうとらえ直すことができるのか

 加えて、本展では2点の新作映像作品が初公開されている。《皮膚の中の惑星/All Small Fragments of You》(2025)では、マスダとマスダのクィアパートナーの日常を映しながら、既存の「親族性」の在り方について問いを投げかけている。

 現在、マスダのパートナーは自らの意志で薬を服用しており、それは男性と女性のあいだにある自由な存在でありたいという思いがあるからだという。ここでは、身近な存在であるパートナーとともに、「家族とは何か」「DNAの継承とは何か」について考えを巡らせながら、男女という二元論で語られがちなこの問題ついて言及。さらに、それを越境していくために、“同じ惑星に存在し、同じ毒性に晒されている”といった共通点を持つ様々な存在──人間や動物から目に見えないバクテリアまで──と、どのように新たな関係性を築くことできるのかを考えるものとなっている。

展示風景より、《皮膚の中の惑星/All Small Fragments of You》

 もうひとつの新作は、福島第一原子力発電所に隣接するヒラメの養殖場で撮影された《証言者たち/Plastic Ocean》(2025)だ。東日本大震災以降は立入禁止区域となり使用されなくなったこの場所には、自生の植物に加えて、その後飛来した種子などによって新たな生態系が誕生しているのだという。本作では、その風景をクローズアップして撮影したものと人の身体の映像が重ねられている。

 会場に決められた順路はないが、この記事で紹介した順に作品を見ていくことで、それぞれの作品を相互補完的に解釈していくことができるだろう。

展示風景より、《証言者たち/Plastic Ocean》

誰かがつくり出した「枠組み」について改めて考える

 展覧会初日に行われたアーティストトーク(登壇者=マヤ・エリン・マスダと清水知子[東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授])では、マスダがこのテーマに行き着いた経緯についても語られた。「当初はSFCでロボティクスを学んでいたが、そのうち、自己完結してしまう機械の在り方に嫌気がさした。ロボティクスのなかにケアの関係(共依存)を持ち込んでみたのがきっかけだった」(マスダ)。

 また、清水は「クィア・エコロジー」について考えるにあたって「『痛みが他者でなくなるとき』の『痛み』とは何か」「『自然』とエコロジーをめぐるパラドクス」「惑星的ケア:アンダーコモンズの世界と感性術」といった3つの観点を提示。人為的に都合よく定められた「人間」「自然」という枠組みについて考えるきっかけを参加者に共有した。

アーティストトークの様子

 マスダのなかで一貫したテーマとして表れる「自然」と「人為」の狭間で生きざるを得ないこと、そして「毒性」「痛み」という共通点から生じうる新たな関係構築の可能性。タイトル「痛みが他者でなくなるとき」にも表されているように、本展は既存の枠組みを冷静に受け止めながらも、いかにそこから新たな関係性を築くことができるかといったマスダならではの提案が投げかけられている。