2026.4.24

ル ラボがKYOTOGRAPHIEにあわせて京都で展覧会を開催。「スロー・パフューマリー」を空間でひらく初の試み

フレグランスブランド「ル ラボ」が創設20周年を記念して刊行する書籍『The Essence of Slow Perfumery』に着想を得た展覧会を、KYOTOGRAPHIEのサテライトプログラム「KG+」の一環としてル ラボ京都町家で開催している。加速する時代において「感覚に立ち返る」ことを問い直す本展は、香りをめぐる思考を静かにひらく試みだ。

文=橋爪勇介(編集部) 撮影=来田猛

展示風景より
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ル ラボが掲げてきた「スローパフューマリー

 フレグランスブランド「ル ラボ」が創設20周年を記念して刊行する書籍『The Essence of Slow Perfumery』に着想を得た展覧会が、ル ラボ京都町家で開催されている。KYOTOGRAPHIEのサテライトプログラム、KG+の一環として発表された本展は、「スローパフューマリー」という哲学を通して、感覚、記憶、時間の関係を静かに問い直す試みだ。

 ル ラボは「グラース生まれ、ニューヨーク育ち」という言葉でその出自を語る。香水産業の中心地として知られる南仏グラースと、加速度的に変化し続ける都市ニューヨーク。その対照的なふたつの土地にまたがる感性が、このブランドの基盤をかたちづくっている。

 2006年、ニューヨーク・ノリータのエリザベス通りに最初のラボを構えたル ラボは、当初から「スローパフューマリー」という思想を掲げてきた。香水を大量生産された消費財ではなく、注文を受けてからその場で調合される個人的な体験として提示するこの方法は、効率化と速度を追い求める現代に対する静かなアンチテーゼでもあった。

 そこにあるのは、たんなる製品開発ではなく、五感を呼び覚ますクラフツマンシップの実践である。香りは「すでに内側に存在する何か」を呼び起こす媒介であり、そのプロセス自体が人と世界との関係を再構築する契機となる。

 本展がたんなるブランドのプロモーションではなく、展覧会として成立している理由もまた、この思想の延長線上にあると言えるだろう。

空間としての京都町家

 本展の会場となるのは、2023年にオープンしたル ラボ京都町家の2階。築約150年の町家を改装したこの空間には、時間の痕跡がそのまま積層している。

1階には吹き抜けの天井から光が降り注ぐ
当時の梁などがそのまま残る空間

 1階に広がる吹き抜けの空間、新緑に染まる紅葉が眩しい坪庭、そしてヴィーガンメニューを提供するカフェ。多くの来場者が香りを試し、滞在する1階を抜け、2階のギャラリーへと上がる。

 使い込まれた畳、坪庭に向けて開いた大きなガラス窓、時間と気候を反映して移り変わる光。それらはホワイトキューブとは対極にある条件だが、むしろ本展においては不可欠な要素として機能している。空間そのものが、均質化されない時間の流れを体現しているからだ。

畳敷の2階
インセンスが空間に清い香りを届ける

 展示はこの環境に配置されるのではなく、「滲み込む」ように展開される。写真やオブジェクトは、あたかもこの場所に以前から存在していたかのようだ。また空間にはほのかに香りが漂い、視覚だけでは捉えきれない感覚も静かに立ち上がる。

「The Essence of Slow Perfumery」

 本展は、ル ラボのグローバル ブランド プレジデントでありクリエイティブ ディレクターであるデボラ ロイヤーによる書籍『The Essence of Slow Perfumery』を起点に構成されている。エッセイ、写真、対話、断片的な思索によって編まれた同書の構造を引き継ぎながら、展示はひとつの「感覚のアーカイブ」として立ち現れる。

会場に置かれた『The Essence of Slow Perfumery』

 ブランドが大切にしている価値は10章にわたる。クラフツマンシップ、記憶、香りという言語、静けさをもたらす環境、そして侘び寂び。とりわけ「不完全さを受け入れる」という思想は、日本文化との接続点として重要な位置を占めている。香りは目に見えないがゆえに、記憶や時間と強く結びつく。本展ではその特性が、写真や言葉によって間接的に示される。そこにあるのは再現ではなく、想起を促す装置だ。そうした展示のあり方を象徴的に示しているのが、中央に置かれた什器である。

 セノグラフィーは、A.D.P.T _ Tokyo / アーティストユニット「FRANK & SHOKO」がデボラと共につくり上げた。書籍がつくられるまでの過程を追体験させるように、デボラのワークスペースを模している。DIN規格(A4・A3サイズなどのこと)の用紙サイズを取り入れたミニマルな什器は畳と呼応し、空間に温かみと清廉さを与えている。

中央の什器には様々な要素が集まっている

 本展は、京都の春の風物詩である国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」のサテライトプログラムとして位置づけられている点も象徴的だ。写真というメディアを通して、視覚を超えた感覚の領域に接近するこの試みは、写真祭の枠組みを拡張するものでもある。展示された写真はプロダクトを捉えるような商業的なものではなく、原材料をつくる職人、店舗で働くスタッフの姿が映し出されている。

 完成されたストーリーを提示するのではなく、「立ち止まること」そのものを促す写真たち。それらは私たちにゆったりとした思索の時間を与えてくれる。

世界各地にある店舗の写真も展示
ル ラボが大切にしている、原材料を収穫する人の手
ル ラボのクリエーションが生み出されるために欠かせないプロセスを捉えたものだ

 本展の着想源となった『The Essence of Slow Perfumery』は、回顧録でありながら、同時に現在を生きるための羅針盤でもある。香りが記憶を呼び覚まし、時間を圧縮するように、この本もまた、読者を自身の感覚へと立ち返らせる装置として機能する。京都の町家という空間で展開される本展は、この書籍の物質的な延長とも言えるだろう。ページのあいだに留められていた思索は空間へと放たれ、漂う香りとともに鑑賞者の身体へと染み込んでいく。

 ル ラボが20年かけて積み重ねてきたもの。それはたんなるブランドの歴史ではなく、「どのように感覚と向き合うか」という問いそのものなのかもしれない。加速し続ける現代において、その問いは決して軽くない。

タイプライターから覗く、デボラ ロイヤーのメッセージ