2025.8.29

野口哲哉インタビュー。彫刻の森美術館で花開いた、どこまでも軽やかな鎧兜

神奈川・箱根の彫刻の森美術館で、武具や甲冑、それらを纏った人間をモチーフに絵画や彫刻作品を制作している野口哲哉の個展「野口哲哉 鎧を着て見る夢 –ARMOURED DREAMER–」が2026年1月12日まで開催されている。本展の魅力や日々の制作について、野口に話を聞いた。

文=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長) ポートレート撮影=稲葉真

野口哲哉
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外部へと広がっていくような展示空間で

──今回の展覧会「野口哲哉 鎧を着て見る夢 –ARMOURED DREAMER–」彫刻の森美術館)では、これまでの野口さんの展覧会とはまた異なる趣向で、複数の作品がひとつの塊になるようダイナミックに展示されているのが印象的でした。どういった意図でこのような展示方法になったのでしょうか。

 展覧会の空間デザインを担当してくれたのが、展示の際にいつもチームを組んでいる実兄です。私はいつも、作品の持つパーソナルな空間や孤立性を大事にしたいと思っているので、これまでの展覧会は、作品1個につき台座が1つ、というかたちで、それぞれを独立した世界として見せる展示方法がほとんどでした。でも、大型の展覧会の経験を重ねていくと作品を展示しているのか、台座を展示しているのか、よくわからなくなってしまうこともあったんです。今回の展覧会ではそういった反省を踏まえ、兄が展示室の広大な空間を活かした展示にしようと提案してくれました。

展示風景より

──会場を入るとまず、メインビジュアルにもなっている鎧をまとった人物が優雅に泳ぐ立体作品《floating man》(2025)が目を引きます。彫刻家・井上武吉により設計された本館ギャラリーの1階は、ガラス張りで屋外展示を借景にする空間ですが、まるで広大な庭園を鎧の人物が泳いでいるような演出が印象的でした。

 彫刻の森美術館では、巨匠たちの彫刻作品が空も山も見える屋外に展示されているので、屋内展示の私も少しでも開放的なイメージで展示を構成できたら、という思いがあり、展示台を使ったパズルゲームになってしまうよりも、同じゲームならオープンワールドの気持ちで臨みたい、ということになりました。物語の舞台となる世界がどこまでも広がっていって、いずれは遠くにたどり着ける予感を与えらてくれる、そんな外部との連続性をつくりたいと考えました。鎧の人物が外に向かって泳いで、どこまでも行ってしまいそう、といったような感想がもらえると嬉しいですね。

 本館ギャラリーの建築自体も大変魅力的です。訪れた人々皆が静かに価値をわかち合い、祈りを捧げるような厳粛な建築空間に感じました。昨今のアートの「楽しさ」「お祭り」「エンタメ化」という側面に違和感があった自分の気持ちとも呼応する場所でしたし、とても気に入っています。

展示風景より、《floating man》(2025)

──パネルを組み合わせて設置された会場内の小部屋に、雪見障子のような窓を空け、小作品と外の景色を併置させたのもおもしろいアイデアでしたね。

 この展示方法は兄が提案してくれましたが、とても気に入っています。私の作品には、サイズが小さいものが多いので、巨大な空間に展示すると埋没してしまうんですよね。だから小さな作品のために窓をしつらえて、外側からでも内側からでも眺められるように、というギミックを仕掛け、疑似的な小空間を作ってみよう、というコンセプトでした。

展示風景より

──今回の展覧会では、台座の上に大小の作品を一緒に並べるという展示方法も見られました。大きさの差異が可視化されると、作品の身体のディテールがより強調され、目が行くことに気がつきました。

 近づいて鎧や表情といった仔細なところを見てもらうのも嬉しいですが、遠景だからこそ見えてくるものもあるんですよね。近くで見るほど逆に全体は見えなくなるわけで、今回の展示で、作品の持つシルエットの意味合いが伝えられたらと思っています。

展示風景より

軽やかに技術を駆使して制作する

──とくに立体作品では、野口さんの身体表現の蓄積を感じます。何気ないポーズでも、鎧の下にある筋肉の動きや、重心の置きどころなどが確かに表現されていますが、そういった身体の表現については、日々技術を磨いて向上させているのですか。

 古典絵画の作家が皆そうだったように、重要なのは学問と実践、両方の解剖学です。独学で一生懸命に解剖学をインストールをしたつもりですが、たぶんこの先ずっとアップデートをし続けなければいけないことなのでしょう。楽しめる苦労であれば、精一杯苦労して勉強を続けたいですね。

野口哲哉

──野口さんは西洋絵画や日本画などをモチーフにしながらも、画材はすべてアクリル絵具を用いています。立体作品の彩色もアクリルですよね。伝統的な画材を用いらず、アクリル絵具のチューニングによってその質感を表現しているのはすごい技術ですよね。

 作品が古めかしく見えるので古典技法の制作と思っていただくこともあるのですが、実際には古典の技法や画材を再現することは重視していません。大学では油彩画を学びましたが、せっかちな性分なので乾燥の早いアクリル絵具を使っています。鎧兜も全て樹脂製ですし、ラッカーやアクリルを併用しています。鉄や漆は使っていません。もしかすると自分のなかで、特定の画材の優位性みたいなものを否定したいのかもしれませんね。

 水を入れるための水筒は、昔はひょうたん、いまはペットボトルですが、素材が違うだけで役割は一緒です。両者に優劣はありません。役割をちゃんと果たしていれば、画材は何でもいいのかな、くらいに思っています。

──例えば、野口さんが影響を公言し、その画風をモチーフにした作品もあるレンブラント・ファン・レインですが、彼はもちろん油彩で描いています。油彩特有のマチエールの厚さをアクリルで表現するにはハードルもあるのではないでしょうか。

 私はレンブラントやジャン・シメオン・シャルダンが大好きなんですが、実物、とくに小さい絵を見ると絵具の層がものすごく薄いんですよね。画集でみてきた古典絵画ってすごく立体的に見えるけど、こんなに薄塗りなの! みたいな衝撃があり(笑)。厚塗りで立体を表現、というのはある種の思い込みであって、大切なのは立体感の把握や多層的な描画方法で、そういう意味では油彩もアクリルも条件は変わらないと思います。

展示風景より、《-21 century light series-》(2024)

──ところで、鎧兜とは本来、戦争で用いられる道具ではありますよね。ウクライナやパレスチナをはじめ、いま戦争のニュースを目にしない日はありません。また、新型コロナウイルスのパンデミックも近年では死を意識する出来事でした。こうした状況のなかで感じる死生観は、野口さんの制作に影響を与えたりするのでしょうか。

 死生観というのはとても興味深い話題ですね。私の作品についての感想として、ユーモアや奇抜さを感じるといった感想はもちろん嬉しいのですが、私個人としては、その下に緊張感や死生の感覚を宿すように制作しています。戦場じゃなくても人間はいつか必ず死にますし、そういった死の気配をフラットな物としてとらえていたいのでしょう。それは人間という存在が持つ、はかなさとか、危うさ、繊細さ、みたいな感覚でしょうか。

 夢や眠り、標本をイメージした作品もどこかで死のイメージとつながっています。社会情勢が制作に直接影響を与える事はないのですが、日常の延長にある死の気配、という感覚は大切にするべきだと思っています。

フラットな感性で向き合う美術

──会場では野口さんの制作の様子をとらえたドキュメンタリー映像も上映されています。ご自身の作品づくりの過程を映像で見せるのは初めてだと思いますが、どういった映像を目指しましたか。

 今回、映像を撮ってくださった方たちは、普段はダンスやストリート系のミュージックビデオなどを撮影されているので、よく目にする美術の制作映像とは違って、フラットな空気感を意識して撮影してくれました。アートの制作現場を映像で見せるときは、どうしても「もっと照明を明るく」「もっと説明的に」となりがちですが、私自身は制作を内省的で、暗く静かなものだと考えています。そういったスタンスを撮影チームと共有できてとても幸せでした。

──10⽉中旬を⽬処に追加で展示される予定の、デジタル技術を⽤いた映像作品も楽しみです。どのような作品になるのでしょうか。

 美術館側から「最新技術で映像作品をつくってみませんか」という提案があって検討をはじめました。色々な可能性を考えたのですが、結果的には作品と同じくリアリティのある、ドキュメンタリーな印象を追及したいです。先端技術を使って「細かく」「鮮明に」とは真逆なこと、例えば、昔テレビで見たUFOとかビッグフットの映像って、真偽不明な上に不鮮明ですが、独特の緊迫感がありましたよね(笑)、ああいった、見えないことが逆にリアル、のような、逆説的なリアルの可能性を探りたいです。

──映像でも新たな技術を取り入れた挑戦をするということですね。インタビューを通じて改めて感じましたが、古典的で技巧的なモチーフをあくまでモチーフとして扱い、フラットかつ軽やかに制作していこうという姿勢が野口さんの根源的なところにはあるのではないでしょうか。

 たとえモチーフが鎧兜でも、人間を思想して哲学する手段にできれば素晴らしいですね。軽やかと聞くとちょっと照れ臭いですが、もしかしたらドライなのかもしれません。鎧兜やアートの知識は大切ですが、それ以上に私をかたちづくっているのは、好きな音楽、ファッション、友人や家族と過ごす日常生活です。日常の延長に外国があり、色んな文化があり、戦争や平和、生や死もあるわけで、切り離すことはできません。

 私は現実主義者(リアリスト)ですが、同時に楽観主義者でもあります。現実や人間の良い部分と悪い部分の両方を見つめたうえで、自分のアートに前向きに還元したいですね。展示は会期も長く、小さなアップデートも加えていきますので、ぜひ多くの人に訪れてほしいです。

展示風景より、《BIAS》(2019)