2025.9.10

時をかけるアーティスト・宮永愛子が、クレドールの腕時計に注ぎ込まれた匠たちの創造性と出会う

日本発のドレスウォッチブランド「クレドール」の「ゴールドフェザー」は、日本の伝統工芸への敬意が表現されたエクスクルーシブなコレクション。10月10日に発売される新作のダイヤルには、軽やかで緻密なフェザーパターンを刻み、その上に艶やかなグラデーションカラーの七宝を施した繊細かつエレガントなデザイン。“時”をテーマにした作品を数多く手がけるアーティストの宮永愛子が、小さなケースの中で正確に時を刻み続ける、腕時計の神秘的な魅力に共鳴する。

聞き手・文=佐野慎吾 撮影=morookamanabu

前へ
次へ

 「The Creativity of Artisans-匠たちの探求と豊かなる創造-」をブランドメッセージに掲げ、あらゆるディテールに日本の美意識と匠の技を盛り込んだ、エクスクルーシブな腕時計を世界に向けて発信し続ける「クレドール」。これまでブランドが追求し続けてきた「薄さ」と、腕時計を愛でていたくなる「美しさ」を高い次元で達成させることで、ブランドの絶え間ない「美への探求」を鮮やかに表現している。

10月10日に発売予定のクレドール「ゴールドフェザー」の新作GBBY969。中央から外周へと藍が幾重にも重なり、これ以上深まることのない濃紺へと至るダイヤルのグラデーションは、5色の釉薬を塗布し焼成する工程を4回繰り返すことで生まれたもの。静けさの中に凛とした存在感を放つ美しい色の変化が印象的
価格=4,950,000円

 曽祖父が興した京焼の名門・宮永東山窯の家系に生まれた宮永愛子は、常温で昇華するナフタリンという素材を用いたアート作品で知られるが、彫刻の成型に初代宮永東山が遺した石膏型を用いるなど、近年は自身の出自を作品に投影することもある。朱色と並び、日本でもっとも古くから使われてきた藍色のグラデーションを表現するために、5色の釉薬を塗布し焼成する工程を4回繰り返した「ゴールドフェザー」の新作を手に、宮永は過去から現在を経て、未来に向けて変わり続けることの意味を語る。

変容していく過程のなかの、“いま”という瞬間に出会うこと

──ナフタリンを用いた宮永さんの作品は、展示中にガラスケースの中にある彫刻が昇華していき、やがて再結晶化されていくという変化を伴うものですが、そのアイデアはどのようなきっかけで生まれたのですか?

 実家では茶箱の中に防虫剤を入れて服をしまっていました。衣替えのとき、その小さな袋に、かつてそこにあった丸い物質の痕跡が残されているのを見つけました。そこで時間が経つと姿を消す性質をもつナフタリンという素材を知り、当初は消えていくアートがあったらおもしろいと思ったのがきっかけでした。ただあるとき、できあがった作品をガラスケースに入れて展示したら、彫刻が消えていくにしたがって、ガラスケース内の表面に結晶が付着していきました。それは昇華したナフタリンが再び結晶化したもので、消えたものだと思っていたものは、じつは形を変えていただけで、そこにあり続けていたということに気づかされたのです。そうやって作品が形を変えてしまうことから、よく映像に残さないのかと聞かれることも多いのですが、映像になると、そこに始まりと終わりができてしまいます。本当の時間は始まりも終わりもなく、ただ流れていくもの。私の作品もまた、変容していく過程の中の一瞬に出会うことにこそ、意味があるのだと思っています。

万寿の園 2025 ガラス、空気、ナフタリン、ミクストメディア 30 x 64.5 x 23cm
Photo by Ryo Yoshiya
写真提供=Gallery & Restaurant 舞台裏
©︎MIYANAGA Aiko, Courtesy of Mizuma Art Gallery
会場風景:宮永愛子個展「万寿の園」Gallery & Restaurant 舞台裏、東京(2025)
Photo by Ryo Yoshiya
写真提供=Gallery & Restaurant 舞台裏
©︎MIYANAGA Aiko, Courtesy of Mizuma Art Gallery

──ご自身の作品にも直接的に時計のモチーフを使われることもありますが、宮永さんにとって時計とはどんな存在ですか?

 時間の感じかたは人それぞれだし、同じように流れていても早く感じることも遅く感じることもありますが、均等に時を刻んでくれるところが、時計という機械のありがたさだと思います。私は音が流れる仕組みが目に見えないCDよりも、ゼンマイを巻いた分だけ動いて、突起が振動板を弾くことによって音が鳴るオルゴールの方が好きなので、機械式時計がチクタクチクタクと時を刻むあの小さな音は、時間の重なりゆく音、あるいは時間を繋いでいく音という感じがして愛着が湧きます。いっぽうで、時計によって示される時間はとてもきっちりしているようですが、じつはもっとゆるやかな、秒でも分でも表せないような時の流れがあるんじゃないか、正確に計っていると思っているけど、じつは計りきれていないものがあるのかもしれない。そういったことに気づける感覚が、アートを観るうえでも重要なことだと思っています。

誰かがやったことではなく、新しいものを見出すことの意味

──宮永さんのご実家でも宮永東山の名跡が受け継がれていますが、その環境は宮永さんの作品づくりにどのような影響を与えていますか?

 うちはまだ父で三代目なので、いわゆる伝統工芸を継いでいる家系とは事情が異なると思います。初代は元々海外貿易に携わっていて、1900年のパリ万博では、事務局の職員として、日本の素晴らしいものを世界に紹介するお手伝いをしていました。そこで知り合った七代錦光山宗兵衛とともに京焼の改革に取り組み、09年に宮永東山窯を築窯しました。当時のパリはアールヌーボーの全盛期で、日本にも大きな影響を及ぼしていましたが、初代東山は海外文化への憧れに迷わず、自分たちが生まれ育った場所から、新しいものを世界に向けて発信していくことに情熱を注ぎました。三代目の父は走泥社というグループを組んで、前衛陶芸と呼ばれるオブジェのような作品をつくっています。このようにうちの家系は、どこかで誰かがやったことではなく、自分で新しいものを見出していこうとする先代の姿に、影響を受けてきたのかもしれません。だから私の場合も、本来であれば後世に残る素材でつくるはずの彫刻を、ナフタリンという形が変わる性質のものでつくることにまったく抵抗がなく、むしろ新しい表現方法として取り入れることができたのだと思います。

夜に降る景色‐時計‐ 2010 ナフタリン、ミクストメディア 22.4x30.5x19cm
撮影=宮島径
©️MIYAMAGA Aiko, Courtesy of Mizuma Art Gallery

──日本の美意識と匠の技が盛り込まれたクレドールの腕時計を手にしてみて、そんなご自身の考えかたとシンクロするような部分はありますか?

 小さなケースの中に100以上のパーツが入っていて、そのほとんどが日本でつくられている点や、腕時計づくりのノウハウや技術と、七宝という美しい伝統工芸を次の世代に残していこうとする姿勢に心を打たれます。伝統工芸も匠の技も、次第になくなってしまうという見かたをすればそれまでですが、私のナフタリン作品と同じように、じつは時の流れのなかで形を変えながら、そこにあり続けていくものという考えかたもできると思います。そういう変わることに対する柔軟な気持ちがないと、新しいものは生まれないと思うんです。きっと腕時計に七宝を取り入れることも、七宝を腕時計のダイヤルに施すことも、職人たちにとってはとても大きな挑戦だったはずです。でも変わることや、これまでと違うことに挑戦しようとする意志が、未来をつくっていくのだと思います。私の作品はよく「儚い」と表現されることがありますが、形を変えていくことは弱さではなく、変わっていけるしなやかさであり、強さでもあると思っています。

 かつて日本が世界に誇る最新の美意識や価値観を一堂に集め、パリに向けて海を渡った宮永の曽祖父たち。もしかしたらその同志たちの手には、当時の最先端の技術が結集された、国産の懐中時計が握られていたかもしれない。常にしっかりと未来を見据え、変わろうとする意志を持って挑戦を続けてきたものだけが、新しい歴史を築き上げてきた。過去、現在、未来という時の流れを内包する宮永の作品とクレドールの腕時計は、見れば見るほど惹きつけられる、奥深くも魅力的なストーリーを湛えている。

クレドール ゴールドフェザー GBBY969