見間違いが開く時間の輪郭。
鈴木康広がクレドール「Kuon(クオン)」に見た、流れ続ける時

身のまわりの何気ない現象をすくい上げ、見慣れた世界に新たな輪郭を与えてきたアーティスト・鈴木康広。子供の頃に抱いた小さな疑問が、長い時を経て作品として立ち現れることもあるという。そんな鈴木が手に取ったのは、「果てしなく続く時の流れ」を名に宿すクレドールの腕時計「Kuon」。作品における時間の捉え方や、素材や職人との対話、そして「Kuon」に見出したものを、鈴木の言葉からひも解く。(PR)

聞き手・構成=倉持佑次 撮影=morookamanabu

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 日本発のドレスウオッチブランドとして、日本人ならではの感性と価値観に基づく美を追求してきたクレドール。ブランドフィロソフィー「The Creativity of Artisans(匠たちの探求と豊かなる創造)」を掲げ、様々な領域で培われた技術と創造性を腕時計に結実させてきた。今回、鈴木康広が向き合うのは、緩やかな時の流れをテーマとする「Kuon」のGCLX997。鈴木の作品と思考をひも解きながら、ものづくりと時間の関係を探る。

「Kuon」GCLX997

人の意図を超えて起こること

──鈴木さんは、身近なものや何気ない現象から、私たちが見過ごしている関係を作品として立ち上げてきました。その視点の原点はどこにあるのでしょうか。

鈴木康広(以下、鈴木) 僕にとって大きなきっかけは、人が考え、つくったもののなかで、つくり手の意図を超える出来事が起こりうると知ったことです。美大を卒業した年に、公園の球形回転遊具を使用した《遊具の透視法》(2001)という作品をつくりました。ふと遊具の影が目に留まった瞬間、地面の上を移動する子供たちの影が、まるで地球の大陸のように見えたんです。遊具は人が遊ぶために設計したものですが、太陽や地球の回転、そこで遊ぶ子供たちが関わったとき、誰も計画していなかった光景が現れる。人が精いっぱい考えて手を入れた先で、それを超えることが起こるのだと驚きました。

回転する遊具の残像現象をスクリーンとして利用し、昼間遊ぶ子供たちの姿や遊具の内側から撮影した公園の景色をプロジェクションする《遊具の透視法》(2001) 撮影:川内倫子
うごめく大陸に見えた子供たちの影 ©️Yasuhiro Suzuki

 ──それは作品をつくるというより、すでに起きていることを見つける感覚に近いのでしょうか。

鈴木 そうですね。そうした出来事は、誰にも気づかれないまま街のなかでたくさん起きていると思います。だから、何かがあるかもしれないと思って歩く。すると、それまで見えていなかったものが見えてくるんです。路上観察学会や超芸術トマソン(*)の視点にも影響を受けました。役目を失った建物の痕跡のように、一般には価値がないとされるものも、見方を変えることで、まったく別の存在として立ち現れています。それらが美術や芸術とは意識されないまま保存されていることが面白く、狙ってつくれるものではないと思っています。

──鈴木さんは「見間違い」という言葉も肯定的に捉えています。

鈴木 見間違いは、普通なら間違いとして片づけられます。でも僕にとっては、新しい見方が生まれる入り口です。既成概念を反転させたり、見慣れた言葉に別の意味を与えたりする。その提案のために、作品という具体的なものが必要になることがあります。《ファスナーの船》(2004)も、海面を船が進んだ跡を見たとき、海がファスナーで開かれていくように見えたことから生まれました。

《ファスナーの船》(2004/2010) 「瀬戸内国際芸術祭2010」出展

未来との待ち合わせとしての時間

──鈴木さんにとって、時間は作品とどのように関わるものなのでしょうか。

鈴木 時間は、僕にとってずっと謎めいたテーマです。子供の頃に「なんだろう」と思ったことが、10年、20年を経て作品になったり、以前の作品が思いがけない場所に呼ばれたりする。過去の小さな引っかかりが、未来で待っているような感覚があります。

 そうした時間の不思議を、遊びを通して考えた作品のひとつが《りんごのけん玉》(2003)です。この作品では、けん玉の玉をニュートンのりんごに見立てています。玉を引き上げると、数秒後にどこへ来るかは物理的にはすでに決まっている。何度も練習すれば、身体はその未来の位置を予測して、先に皿を差し出せるようになります。まだ起きていない出来事と待ち合わせるわけです。時計の針も、これから盤面のどこへ進むかをあらかじめ示している。そう考えると、時間を表示する道具が急に不思議なものに見えてきます。

《りんごのけん玉》(2003)

──時計が示す時間だけでなく、人や生き物がそれぞれに持つ時間にも関心がありますか。

鈴木 子供の頃、夢中で遊んでいると、校庭の時計が進むのはとても早かった。時計が示す時間は同じでも、自分の時間は伸びたり縮んだりします。また、人間の目的や都合から離れたところにも、別の時間が流れています。初めて釣りをする友人を連れていったとき、友人は魚の釣り方がわからなく、夕暮れまでずっと待っていたんです。なんと、何時間もかけて餌に寄ってきたタニシを釣り上げました。そのとき、僕が見落としていた時間の存在に気づかされたんです。作品も同じで、作者が答えを持っているのではなく、初めて見る人の反応によって新しい発見が生まれます。

「時間」について語る鈴木

──過去の記憶やノートに残したアイデアが、時間を経て作品につながることもありますか。

鈴木 僕は、昔の記憶や作品、ノートに描いたものが、古い順に過去へ押し流されていくとは思っていません。すぐに作品にならなくても、自分のなかでは動き続けているんです。外からテーマをもらったり、ある場所に呼ばれたりしたとき、それまで離れていたもの同士が急につながることがある。だから、新しいものをゼロから生み出すというより、ずっと生きていたものが、いまの自分や周囲の出来事との関係によって姿を現す感覚に近いですね。過去が後ろに固定されているのではなく、未来に向かって同時に動いている。作品をつくることは、その動きに気づくことでもあります。

試作が職人との対話を変える

──頭のなかのイメージを形にするとき、職人や素材とどのように向き合っていますか。

鈴木 僕は、できることなら全部自分でつくりたいんです。手を動かしている途中で面白いものを見つけたら、すぐに方向を変えられるからです。ただ、硬い金属やガラスの加工など、自分ではすぐにできないこともある。そのときは図面だけを渡すのではなく、アルミや木、発泡材など、自分が扱える素材でできるところまで試作して持っていきます。職人さんは自分の専門素材をよく知っていますが、別の素材でつくられた試作品を見ると必ず驚いて、難しいことにも向き合ってくれる。できるところまでやってはじめて、対話が動き出すんです。

──職人とのやりとりや彼らの発想によって、作品が想定を超えた経験もありますか。

鈴木 計量スプーンを砂時計にした《時間を測るスプーン》(2004)という作品があります。スプーンに穴を開けて砂を落とそうとしたのですが、砂が自重できれいに落ちるには、内側を円錐形にしなければならない。自分でも樹脂で試作をつくりましたが、理想の形にはなりませんでした。そこでガラス職人に相談し、試行錯誤を重ねました。縁の処理が難しくどうしても気に入らなく、職人を悩ませてしまったのですが、しばらくして職人さんから「できた」と連絡があり、見せてもらったのは、ガラスの球体を熱し、一方を内側へ反転させる方法でした。球体を地球に見立てると、その形は重力の方向まで感じさせ、僕が考えていたものを超えた形になっていた。自分の要求と職人の技術がぶつかった先で、どちらか一人では辿りつけない答えが生まれた経験です。

《時間を測るスプーン》(2004)

「Kuon」に現れる流れ

──緩やかな時の流れをテーマにしたクレドール「Kuon」GCLX997を実際に手に取ってみて、まずどこに目が向きましたか。

鈴木 まず、最初に見た瞬間は、全体がひとつにまとまっていると感じました。普段はあまり腕時計を着ける機会がないので、部品ごとに見るというより、かたち全体が目に入ったんだと思います。そのあとで針の美しさに気づきました。磁器のダイヤルも均一な白ではなく、光や見る角度によって表情が動く。細部を拡大して見るのとは違い、実際に腕に着けて肉眼で見ることで、ケースやダイヤル、針、ブレスレットがひとつにつながって見えました。

「Kuon」GCLX997の磁器ダイヤルと滑らかな針の動きを見つめる鈴木

──腕時計は、細部を拡大して見るときと、腕に着けて肉眼で見るときとで、印象が変わりますか。

鈴木 拡大して細部に焦点を合わせると、その周囲の世界はぼやけます。逆に、全体を見ているときには、細部を同じ解像度では捉えられない。人間の目は、倍率の違うふたつの世界を同時にくっきりと見ることはできないようです。腕時計も、機構や仕上げを拡大して見れば精密な世界が現れますが、実際には肌の上に置かれ、周囲の光を受けた状態を肉眼で見る。そのときに受ける印象は、拡大写真とは別のものです。「Kuon」は細部が精緻でありながら、腕につけたときにはケース、ダイヤル、針、ブレスレットが分かれず、ひとつの像として見える。そこが印象に残りました。

──実際に腕につけた印象はいかがでしたか。

鈴木 最初に、金属に身体の熱を奪われる感じがありました。同時に、つけ心地はちょうどよく、優しい。ケースからブレスレットまでが滑らかにつながっていて、腕の上を流れるように沿ってくる。腕時計が威張ってこないというか、肌との境目が強く出ないんです。気がつくと、腕時計自体も体温に近くなっていました。目で見るだけではなく、身体につけて初めてわかる形があると思いました。

「Kuon」GCLX997はクレドール専用の手巻スプリングドライブムーブメント「キャリバー7R31」を搭載

──鈴木さんは、秒針の動きも長く見ていました。

鈴木 一般的な腕時計の秒針は、一秒ごとに位置が移り、時間を刻んで見せます。でも、この秒針は止まることなく滑らかに進んでいく。目盛りと目盛りのあいだにも、時間が連続して存在していることが見えるんです。「時を刻む」と言いますが、時間には「流れる」という捉え方もある。川や太陽の動きのように、世界の時間は本来途切れていない。その感覚に近いと思いました。

──水の流れというテーマは、造形と動きの両方から伝わりましたか。

鈴木 説明を聞く前から、ブレスレットが腕に沿う様子には流れを感じました。あとから、水の動きをケースの曲面やブレスレットの光、ダイヤルの透明感、裏側の模様までつなげていると知り、ひとつの考えが表と裏、見える部分と身体に触れる部分の両方に通っているのだとわかりました。テーマを図柄として置くのではなく、触れた感覚や針の動きにまで浸透させている。僕の作品でも、最初の発見が素材や構造と結びついて初めて、見る人の身体に届くものになるので、そのつながり方には共感します。

裏蓋には、湧水が流れる「せせらぎ」に見立てた曲面の模様が施されている

──鈴木さんにとって、腕時計を身につけるのはどのような体験ですか。

鈴木 腕時計は、向き合って見るときに時間が現れるものですよね。つけているだけでは意識しないけれど、ダイヤルに目を向けた瞬間、自分がいまどこにいるのかが投影される。僕は美大の試験監督をするときなど、1年のうちで必要な数日だけ腕時計をつけることがあります。外したあとも手首に感覚が残っていて、「時計が身につく」という言葉を身体で理解するんです。「Kuon」のように流れる時間を示す腕時計なら、時刻を知る以上に、自分の時間を見直すきっかけになるのかもしれません。

「Kuon」GCLX997
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 鈴木康広が作品の入り口とするのは、見慣れた風景のなかに生じる小さな違和感だ。人の意図を超えた現象に目を凝らし、自ら手を動かしながら、素材や職人、鑑賞者が返す予期せぬ答えを受け入れていく。「Kuon」の秒針もまた、区切られた一秒のあいだにある連続した時間を可視化する。過去の発見が未来で作品になるように、腕の上を流れる一筋の針は、まだ見えていない時間へと視線を導いていく。

*──路上観察学会は赤瀬川原平や藤森照信らが1986年に結成。街なかの建物や痕跡を観察・記録する活動を行った。「超芸術トマソン」は、用途を失った階段や扉など、実用性がないまま残され、芸術作品のようにも見える都市の構造物を赤瀬川が名づけたもの。